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東京地方裁判所 昭和34年(特わ)23号 判決

主文

被告人中村光男を罰金二千円に処する。

右罰金を完納し得ない場合は金二百円を一日に換算した期間右被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人中沢健三、同松本顕雄、同森巖、同早川康弌、同清水丈夫、同井上堯裕、同広瀬義治に支給した分は全部被告人中村光男の負担とする。

本件公訴事実中被告人中村光男に対する昭和二十五年東京都条例第四十四号違反の点につき同被告人は無罪被告人伊藤嘉六、同松永毅士、同金子厚三、同由井一弘、同塩川喜信、同小川泰弘はいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人中村光男は、反戦学生同盟に所属する学生であるが、昭和三十三年四月一日午前十時二十分過頃同じく右同盟に所属する学生等約四十名と共謀の上、東京都港区赤坂榎坂町一番地所在のアメリカ大使館に対してエニウエトク環礁水爆実験中止要求等の集団陳情を行うべく右学生等と共に福吉町方面より同大使館正門(第二ゲート)附近に赴いた際、その場で四列縦隊に整列して、互に腕を組み合せてスクラムを組み「原水爆実験反対等」と記載したプラカートを持つた右学生等の隊列の列外に出て、その先頭に立ち、右学生等と共にワツシヨイワツシヨイと掛声をかけながら、同大使館正門に向つて駈足で近附いた。すると門内で右掛声を聞きつけた同大使館警備員森巖がこれが門内に入るのを阻止すべく、急遽右正門に向つて右側の門扉を閉め終り、次いでその場に居合せた同大使館の近松運転手と共に、向つて左側の門扉を閉めかけたところ、被告人は前記スクラムの前列にいた学生数名と共に既に八分どおり閉められた右門扉にぶつかつて行き、右森並びに近松の制止にもかかわらず、これを無視し、遮二無二右学生数名と力を合わせて強引に右門扉を押し開いた上、同所より総勢の先頭に立つて正門内に闖入し、もつて同大使館保安課長ウイリアム・H・ウエイドの看守する同大使館邸宅内に故なく侵入したものである。

(証拠の標目)(省略)

(弁護人の主張に対する判断)

(一)  渡辺、山本、中田各弁護人は、被告人中村その他の学生達が本件アメリカ大使館内に立ち入つた際は、正門向つて左側の門が全開されていて警備員その他の制止をうけず自由に通行したものであり、仮に制止をうけたとしても判示森巖等は右大使館の管理人ではないから本件所為は看守者の意思に反してなされた侵入行為ではない。また、同被告人等が立ち入つた場所は、同大使館正門から事務所のある前庭までの箇所であるところ、大使館は公の官署であつて、その事務所は一般に解放されことに本件のような陳情等の目的で立ち入ることは大使館側でも当然受忍すべきものであるから、本件所為は事前の包括的承諾ないし推定的承諾があつたと目すべきで、「故なく侵入し」た場合にはあたらないと主張する。

しかし、証人森巖、同松本顕雄の証言を綜合すると同被告人等がアメリカ大使館正門内に立ち入つた状況は判示認定のとおりであつて(尤も右証人等の証言中には齟齬する部分もあるのであるが、松本顕雄は警視庁巡査として大使館前の交番に勤務し大使館構内に立ち入る権限なく専ら外側附近の警備の任にあつた者で本件の場合も正門の外側にあつて被告人等の闖入を阻止しようとしたものであり、森巖は大使館側の警備員として大使館構内の警備にあたつていた者で両者部署を異にし、かつ両名とも本件当時周章狼狽しておつたことが認められ、その証言内容は細部の点では必ずしも一致しない点もあるが、本件侵入の状況ことに右森が門扉を閉じようとしているところを被告人等が実力でこれを排して闖入した事実については一致しており疑うべくもない)、警備員森巖等の必死の制止にかかわらず強引に立ち入つたものであることが認められ、さらに右森の証言及び証人広瀬義治の証言を綜合すると、同人等はビルデイングの清掃管理等を目的とする日本不動産管理株式会社に籍をおく者であるが同社とアメリカ大使館との契約により同社から派遣されてアメリカ大使館の警備員として同大使館に詰めていたものであること、右広瀬は警備員の長として、同大使館の看守者である同大使館保安課長ウイリアム・H・ウエイド等から外来訪問者に対する取扱として陳情等の目的の来訪者は正門傍の詰所にいる警備員が一々その来意を尋ね電話で館内の保安課に連絡してその指示をうけ許可された者に限り門内に入らしめるよう命ぜられており、その命にしたがつて日常の勤務につき部下の警備員を指揮監督していたものであり、本件当日も森巖は日頃の指示に従つて被告人等の闖入を制止しようとしたにもかかわらず被告人等は判示のように実力を行使して門内に闖入したものである事実が認められるので、被告人等の本件所為は到底事前の包括的承諾または推定的承諾のあつた場合と認めることができず、却つて正門入口に配置されている警備員の制止を聴かず判示のような態様で押入つた被告人等の所為は、正当の事由なくして看守者の明示的意思に反し「故なく侵入した」ものといわなければならない。

(二)  山本、中田、各弁護人は、被告人中村等は右大使館区域内の事務所の前庭、即ち囲繞地に立ち入つたにすぎないのみならず、大使館の建物に足を踏みいれた事実はなく、しかも大使館は事務所等を含み館員多数の居住する一廓であり、大使だけの利用に供せられるものではないからこれを大使の邸宅ということもできず、したがつて本件所為は軽犯罪法第一条第三十二号にあたるかどうかは別として、刑法第百三十条をもつて処断すべき筋合ではないと主張する。

しかし、右証人森巖の証言によつて認められるように、本件大使館区域には弁護人主張のとおりひとりアメリカ大使の住居の外事務所、随員の居住する住居等の建物も存在しその一廓内には大使及びその家族以外の人も居住することが認められるのであるが、大使館区域は外国使臣たる大使がその随員を従えて執務する事務所たる公館と、その住居が主たるもので、他に随員等が居住していても単に多数人が個別的に居を構えて居住する囲繞された一廓とは趣を異にするといわねばならず、また、囲繞地も刑法第百三十条にいわゆる住居、邸宅等に含まれるものと解すべきであるから被告人等が本件大使館の事務所前前庭に闖入した行為は同条にいう邸宅侵入にあたることも明らかである。

(三)  中田、福島各弁護人は、仮に本件所為が刑法第百三十条の構成要件に該当するとしても、右侵入は、当時アメリカ合衆国が予定していた、日本国民の生命身体財産等に重大な危害を及ぼす原水爆実験の禁止を要求するためにされた正当行為であり違法性が阻却せらるべきであると主張する。

被告人中村ほか学生達が判示のようにアメリカ大使館邸宅内に侵入した意図目的は、原水爆実験禁止の陳情のためであつて、その意図目的自体は法的にも道義的にもなんら非難さるべきものではない。しかし、目的の不法がつねに住居侵入罪を構成せしめるものとはいえないと同様目的の適法性正当性必ずしも住居の侵入を正当づけるものでもない。とくに本件の場合外交館舎の不可侵は、国際礼譲からばかりでなく国際法上も接受国によつて遵守されねばならぬ原則であるにもかかわらず、これを無視し、世間一般の常識をもつてしては陳情行為とは認められない、前示のような不法な態様による侵入行為は目的の適法性正当性にかかわらず刑法第百三十条の罪を構成するものといわなければならない。

(四)  渡辺弁護人は、本件所為が仮に刑法第百三十条に該当するとしても本件はその犯情からして極めて零細な反法行為であり、かつ、被告人中村にはなんら危険性が認められないからいわゆる一厘事件(大審院明治四十三年十月十一日判決)の判例の趣旨からみて本件は犯罪を構成しないと主張し、中田弁護人も亦同様本件行為の違法性は極めて微少のものであるから刑罰をもつてのぞむべきではないと主張する。

しかし、右一厘事件の判例は、国家財政に関する煙草専売法違反の事件にかかるものであり、周知のように明治四十年代の経済状態の下で価格一厘に相当する葉煙草を政府に収納しなかつたという、むしろ財産犯罪的性質を帯びた犯行に関するものを零細行為として不問に付した極めて特殊のものであり、本件のような住居侵入という、個人的法益を侵害するものとはいえ本件事案の特殊事情として同時に国際法的意味をももつ犯行の事案に適切なものではない。なお、山本弁護人は、被告人中村は本件以前にも同大使館に陳情に出向いたことがあつたがその節は制止をうけなかつたから当然門内に立ち入ることが許されると思つていたものであり、本件は住居侵入の故意を欠くと主張するが、同被告人が本件以前になんらの制止をうけず門内に立ち入ることができたという事実はこれを認めるに足る証拠がないばかりでなく、判示認定のような本件立ち入り当時の事情からすれば本件行為に際し同被告人が看守者の意思に反しても強いて門内に立ち入ろうとする意思があつたことは明瞭である。

よつて弁護人等の各主張はいずれも採用することができない。

(法令の適用)

被告人中村光男の判示行為は刑法第百三十条罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号、刑法第六十条に該当するので本件犯行の動機目的及び被告人が在学中の学生である事情を参酌し所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金二千円に処し、右罰金を完納できないときは刑法第十八条によつて金二百円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。なお訴訟費用中証人中沢健三、同松本顕雄、同森巖、同早川康弌、同清水丈夫、同井上堯裕、同広瀬義治に支給した分は刑事訴訟法第百八十一条第一項により同被告人の負担とする。

(本件公訴事実中無罪の部分の説示)

本件公訴事実中、被告人中村光男に対する前記有罪と認めた以外の部分及び爾余の全被告人に対する部分の要旨は

第一  被告人小川泰弘は昭和三十三年九月十五日全日本学生自治会総連合主催の下に学生約三千名が東京都千代田区紀尾井町の清水谷公園から同都港区内芝公園まで集団行進をした際、東京都公安委員会が右集団行進に対し蛇行進、渦巻行進又はことさらな停滞等交通秩序をみだす行為は絶対に行わないことという条件をつけたのにかかわらずこれに違反して午後四時四十分頃から午後五時十分頃までの間同区虎の門交叉点に於いて、蛇行進並びに渦巻行進を行い、かつことさら停滞したのであるが、被告人は、この集団行進の先頭に立つて蛇行進並びに渦巻行進を誘導し、かつ行進を停滞せしめ、東京都公安委員会のつけた前記条件に違反した集団行進を指導し、(昭和二十五年東京都条例第四十四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例第三条第一項但書、第五条違反)

第二  被告人塩川喜信、同中村光男は共謀の上

(一)  昭和三十三年十一月五日午後三時頃から同日午後五時二十五分頃までの間東京都千代田区永田町一丁目一番地先の国会に通ずる道路上において、学生約三千名が東京都公安委員会の許可を受けないで警職法改悪反対等のための集会を行つた際その主催者となり

(二)  同日午後五時三十分頃から同日午後六時三十分頃までの間前記学生約三千名が東京都公安委員会の許可を受けないで前記道路上から同区内日比谷公会堂前に至る間の集団行進を行つた際、その主催者となり、右出発地点において隊伍を整えさせ、かつ被告人塩川が隊列の先頭部に立ち、被告人中村が笛を鳴らしてそれぞれ蛇行進を誘導し、もつて右集団行進の指導をし、(右(一)(二)共前記条例第一条、第五条違反)

第三(一)  被告人伊藤嘉六は昭和三十三年十一月五日午後九時頃から午後九時二十五分頃までの間東京都千代田区永田町一丁目一番地先の国会正門に通ずる道路上において、学生数百名が東京都公安委員会の許可を受けないで警職法改悪反対夜間学生総けつ起大会を開催した際、右集会の主催者として開会の挨拶司会等を行い

(二)  被告人伊藤嘉六、同松永毅士は同日午後九時二十五分頃から午後十時十五分頃までの間、前記学生数百名が東京都公安委員会の許可を受けないで、前記永田町一丁目一番地から同区有楽町二丁目十七番地日本国有鉄道有楽町駅に至る間の集団行進を行つた際被告人伊藤において該集団行進の主催者として、右出発地点において、右学生等に対し、解散地、隊伍の組み方等を指示し、午後九時三十五分頃から午後九時四十分頃までの間、同区霞ケ関一丁目一番地警視庁正面玄関附近から同区霞ケ関一丁目無番地丸の内警察署桜田門外巡査派出所前附近に至る車道上において行われた右学生等の蛇行進に際し、その先頭部に立つて右行進を誘導し、もつて集団行進の主催並びに指導をし、被告人松永において前記の出発地点から前記有楽町駅まで、行列の先頭に立つて右行進を誘導し、かつ率先して掛声を掛け、もつてその指導をし、(右(一)(二)共前記条例第一条第五条違反)

第四  被告人金子厚三、同由井一弘は昭和三十三年十一月十四日午後九時二十分頃から午後九時五十分頃までの間東京都千代田区永田町一丁目一番地から日比谷交叉点を経て同区有楽町二丁目十七番地日本国有鉄道有楽町駅附近に至る間の道路上において学生約百五十名が東京都公安委員会の許可を受けないで集団行進を行つた際被告人金子において、その列外先頭に在つてシユプレヒコールの音頭をとり蛇行進を誘導し、同じく被告人由井において右行列の列外先頭に在つてその行進を誘導し、もつて夫々右集団行進の指導をし、(前記条例第一条、第五条違反)たものであるというのである。

そして、被告人小川に対する右の第一の公訴事実は証人佐藤英秀(但し第二回)、同松井間一、同宮前実男、同田島徹夫(但し第一回)の当公判廷における各供述、松井間一撮影の写真四葉、宮前実男撮影の写真四葉、田島徹夫撮影の写真八葉によつて認定でき、又被告人塩川、同中村に対す右第二の各公訴事実は、証人田島徹夫(但し第二回)、同山崎義雄、同伊藤周一の当公判廷における各供述、山崎義雄撮影の写真八葉、伊藤周一撮影の写真七葉によつて、又、被告人伊藤嘉六に対する右第三の各公訴事実は昭和三十四年六月二十九日附第二回公判調書中に包含されている同被告人関係での準備手続調書中の証人佐藤英秀(第一回)、同山本繁の各供述記載、証人小暮乙丸の当公判廷における供述、小暮乙丸撮影の写真四葉、山本繁撮影の写真五葉によつて、同じく被告人松永毅士に対する右第三の(二)の公訴事実は、証人山本繁、同京谷茂の当公判廷における各供述、右山本繁撮影の前掲各写真、京谷茂撮影の写真八葉によつて、又被告人金子厚三、同由井一弘に対する右第四の公訴事実は証人佐藤英秀(但し第三回)、同常山貫治の当公判廷における各供述、常山貫治撮影の写真十四葉によつて夫々認定できるところである。ところで右被告人等の所為が昭和二十五年東京都条例第四十四号によつて処罰さるべきであるかどうかを検討すると憲法第二十一条の保障する言論、出版その他一切の表現の自由は、基本的人権の一として、憲法の上でも侵すことのできない永久の権利と規定され、法律によつても妄りに制限することのできないものであるが、これとて絶対無制限のものではない。まず、憲法第十二条の規定の趣旨からも窺われるように、表現の自由もこれを濫用することの許されないことはもとより、公共の福祉のために利用されなければならないものであつて右の自由権それ自体のうちに制約の存することが明らかであり、従つて濫用にわたる場合は憲法上の保障を受け得ないものとして当然これを制限することができるが、更に、表現の自由はその本質上専ら他人の存在を前提とし、その手段方法の如何によつては他人の基本的人権と衝突する可能性を含んでいるから、かかる各人の基本的人権相互の衝突の可能性を調整する原理としての公共の福祉の見地からの制約を免れないものであつて、憲法第十三条の規定に照し右の観点からこれを規制することも亦可能としなければならない。しかし、表現の自由は民主主義実現の根幹をなすものであり基本的人権のうちでも最も重要なものの一つであるから右の制限ないし規制は、真にやむを得ない場合において必要最少の限度で合理的明確な基準のもとで画一的かつ人的無差別の原則に従いなされなければならない。しかして集会、集団行進及び集団示威運動(以下これらの行動と称する)は思想表現の一形態として右の表現の自由の保障をうけるものであるからこれらの行動につき、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によりこれを濫用するものでない限り、地方自治体が条例において一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは憲法上の趣旨に反して許されない。しかしこれらの行動についても前記の公共の福祉の見地から必要最少限度の範囲内で右の規準に従い規制することがやむを得ない場合のあることも明白であるからこれ等の行動が参加者以外の公衆の基本的人権と衝突する可能性を防止するため特定の場所又は方法につき合理的かつ明確な規準の下に予め許可を受けしめ、又は届出をなさしめて、このような場合これを禁止することができる旨の規定を条例に設けても、これを以つて直ちに国民の表現の自由を不当に制限するものと解することはできない。従つて例えばこれ等の行動のうち道路公園その他公共の場所で行われるものは、これらの場所を一般公衆が快的かつ便宜に平和と秩序を以つて使用すべき権利と衝突し、或はこれらの行動が附近住民の静穏に生活すべき権利と牴触する可能性のあることに着目し、これを調整することを目的とし、そのために右の規準を明示してこれ等の行動を規整する条例を制定することも亦憲法上是認され得るものである。

しかるに昭和二十五年七月三日東京都条例第四十四号は、まず規制の対象として、その第一条但書で思想表現の自由とは無関係な教課的なもの及び冠婚葬祭等の慣例的行事に関するものを除外するのみであり、又同条本文に定める道路その他の公共の場所という集会及び集団行進についての場所的限定は、これらの行動の性質上なんら実質上の限定とはならず、集会集団行進、集団示威運動についてはいずれも許可制をもつて前二者については一般的制限に近い程度に、後者については一般的に制限するものであり、次に許否の基準についてみるに、これらの行動は殆んど常に道路公園その他公共の場所で行われ、またその際附近の静穏を害する虞れもあるから道路交通公園等の公共の場所の管理ないし静穏保持の観点から一般公衆の権利との調整を目的とし、これを明示したうえで、抽象的基準を掲げるのであれば、これらの行動に対する規整も是認されるものと解されるのであるが、右条例第三条第一項はこの点を明確にしておらないばかりでなく、その定める「公共の安寧」という概念は極めて伸縮性に富み安易に解釈される危険がある以上、いかに「直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」という法文上の限定をおいたとしても、また同条例第六条、第七条の運用規定を考慮に入れたとしてもなお具体性を欠き不明確なものといわねばならない。

さらに、右条例第三条第二項は許可申請に対し公安委員会はこれを許可した場合に特別の事由のない限り行動実施の日時の二十四時間前までに申請書の一通に許可する旨を記入して主催者又は連絡責任者に交付しなければならないと規定するのみで後にこの点に関する検察官の主張に対する判断で説明するように、本件条例は公安委員会に不許可処分の通知義務を課しておらないばかりでなく不許可処分がなされ又は許否が保留され行動実施予定日にいたつた場合の救済手段が設けられておらず、同委員会が不許可処分をした場合や許可申請に対し行動実施日時までに許否を決せずに放置した場合にも行動の実施が禁止され、これを強行すれば主催者等は処罰の対象とされることを考えれば右のような規定の不備は単なる確認のたみの規制にとどまらず、むしろ前記行動の一般的禁止を前提とする規制方式と解せざるを得ず、同条例の定める以上のような規制方法は憲法上特に重要視されねばならない表現の自由に対するものとしてやむを得ない限度を越えたものというべきであり同条例は憲法に違反するものと解せざるを得ない。この見解は既に昭和三十三年五月六日当裁判所がいわゆる蒲田事件の判決において詳細判示したところである(裁判所時報昭和三十三年六月一日第二五六号参照)。因に道路交通の安全、秩序の維持のためには、前に述べた公共の福祉による調整の観点に立つて、道路交通取締法(同法第二十六条、同法施行令第六十九条、東京都交通取締規則第五十七条第六号ないし第十五号、なお同規則同条は道路において行われる行為のうち当該管轄警察署長の許可を受くべき場合を定めるものであるが、特に第七号、道路で競技、おどり、仮装行列、街頭行進その他の催しものをすること、第十二号道路に宣伝物、印刷物その他の物を撒布し、又はこれに類する行為をすること、第十三号演説、演芸、奏楽、放送、映写その他の方法により道路に人寄せをすること、第十五号、そのほか交通の妨害となり又は交通の危険を生ぜさせるような行為をすること等の規定参照)に基き罰則を伴う許可制によつてこれを規制しなお、一般公衆の静穏な生活を保持する目的のためには、昭和二十九年東京都条例第一号騒音防止に関する条例(同年東京都規則第五号騒音防止に関する条例施行規則)によつて罰則を伴なう規制が設けられていることと対比するならば、これら規制のほかに何が故に本件条例による規制を必要とするか、本件条例の目的性格につき深い疑惑を抱かざる  ないのである。(前記蒲田事件判決で詳細説示したように、もし、これらの行動中に刑罰法規に触れる犯罪が発生した場合にはそれぞれの法条によりこれを取締ることができることはいうまでもない)検察官は、論告において、本件条例は一般的許可制によつてこれらの行動を抑制しようとする趣旨ではなく、第三条第一項の定める許否の基準と関連して考察するならば、実質的には届出制と何等異なるところがないと主張する。しかしながら本件条例の規制の対象とされているこれらの行動が必ずしも画一的かつ人的無差別の原則に従つているとは認められないこと、同条例第三条第一項が定める許否の基準は、規定の形式においてはまことに整つている観があるけれども、同条例全体の体系に則して考究すれば、具体性を欠き不明確であり、一行政機関である公安委員会において常に厳格に解釈される保証がな 、却つて右の規制範囲の限定方法自体を考慮に入れるならば、同条例は既にこれらの行動を危険視していることを窺わせるものであり、本来これらの行動は多数派である時の権力者と相対立する少数派が、その包懐する思想、主義、主張について社会一般の関心に訴える唯一ともいうべき手段であることを思えば、このような規定の下で、「われわれと意見を同じくする人々のための自由な思想ではなく、われわれが嫌悪する思想のための自由」としての表現の自由が果して国政上最大の尊敬をうけるか否かは疑わしいことは前記蒲田事件の判決で詳述したとおりであつて、これをしも実質的届出制にほかならぬとすることは到底できないのである。つぎに検察官は、同条例と同時に制定された昭和二十五年七月三日警視総監命令甲警邏交通第三二四号によつて許可不許可の処分をしたとき又は、許可の取消、又は条件の変更をしたときは受理した警察署は速やかに申請者を呼び出し、文書により通知をすることとされているから主催者において不許可処分等の存在の了知についての不都合は存せず抗告訴訟の途が奪われていない。しかし公安委員会が許可の通知を怠り、或は許否の処分そのものを放置するが如きは同委員会が法令の規定を遵守しなかつたときのみ生ずることで、これに対する救済方法の存否は同条例自体の合憲違憲とは無関係であると主張する。しかし右の命令はその後廃止されこれに代るものが新たに制定されかつ屡次の改正を経て今日に至つているのであるが、(昭和三十三年十月十五日警視庁警備部長、総務部長、公安部長、交通部長通達甲警備三、第七号)たとえ右内容と同趣旨の条項が存在するとしても、それは元来公安委員会制度は国民を代表する委員会からなる合議体の意思決定機関として警察を管理し、もつて警察の民主的運営を確保するため設けられたものであり、その性格上権限委任はできないものであり、それは警視庁内部の事務上の通達であつて住民との間の権利義務を定めるものではなく本件条例の附属法規とみることは困難であり、公安委員会が自ら法的に義務づけているものとはいい難いのみならず、右の主催者等に対する通知は不許可処分を受けた際の主催者側の抗告訴訟の途を考慮したものではさらにないのであつて、現にその点に関する運用の実情をみるに、証人小倉修、同芳賀民重の当公判廷における各供述によれば、本件条例の許可申請の手続は、まずもつて、警視庁に出頭して、その係官と折衝した上で大体の下話をきめ、然る上管轄警察署に許可申請書を提出することになつており、公安委員会との直接の交渉はなく、かつ許可を受けるまでに相当の日時を要し、ことに夜間学生達の集会、行進等の申請に対しては殆んど当該集会行進等の行動実施予定時刻間際になつて許否の決定の通知があり、甚しきは予定時刻を経過して許可の通知を受けたこともあるという事情であつて、かような運用の実際をみても時間的関係からして不許可処分があつた際仮にそれを了知しても抗告訴訟を提起する余裕のない実情であることが窺えるのである。さらに、公安委員会が行動実施日時まで許否の処分を留保した場合には救済方法はなく、行動実施は禁止されこれを強行すれば無許可の行動として取締の対象とされることになるが、これにつき検察官は、前記のようにかかる場合の救済方法の有無は同条例自体の合憲違憲とは無関係であると主張するが、昭和二十九年十一月二十四日最高裁判所が合憲であると判断した新潟県条例には、その第四条で公安委員会が許可申請に対し許否を決すべき時限を無条件に行動開始日時の二十四時間前と限定しそれまでに条件を附し、又は許可を与えない旨の意思表示をしない時は許可のあつたものとして行動することができる旨明記されておるのであり、しかも、新潟県公安委員会自身が定める施行手続をもつて、これらの通知は行動開始の二十四時間前までに申請人に交付しなければならない旨を定めて自から通知義務を負担しており(昭和二十四年新潟県公安委員会訓第一号行列行進集団示威運動に関する条例施行手続第六条)、東京都条例の場合と著しく異にするものがあるのであつて、右の判例においても、右の規定は他の条例の規定と有機的一体をなすものとして合憲判断の重要な要素とされているのである。この差異は本件条例の許可の本質を考察する上で看過できない重要性をもつもので、この点からしても、本件条例における許可は前述のように、単なる確認のための規整にとどまらず、一般的禁止を前提とする規整方式であるといわざるを得ないのである。

よつて本件東京都条例は憲法第二十一条に違反する(許可制を定めた同条例第一条が憲法に違反することは右に述べたとおりであるが、右違法な許可制を前提とする同条例第三条第一項但書が憲法に違反することも明らかである。)ものといわなければならない。

なお、本件公訴事実の一部にみられる集団示威運動の際における蛇行進渦巻行進等の類は、公衆道徳を無視し、道路交通の長時間の杜絶、道路交通の安全、秩序の維持に危険を釀すものであり厳に戒めらるべきものであるが、本件の一部の被告人に対する捜査の過程では、令状に前記条例違反のほか、道路交通取締法違反の罪名も記載せられていたにもかかわらず、起訴の際は条例違反のみの訴因をもつてしており、また、公判中も検察官は同条例の合憲性を強く主張し、敢えて予備的訴因を追加しなかつた点からすれば、他の訴因をもつては処罰を求める意思のないことが明らかであるから本件公訴事実中昭和二十五年東京都条例第四十四号違反の点に関する限り被告人等に対し、刑事訴訟法第三百三十六条に従い無罪の言渡をすることとする。

(昭和三四年八月八日東京地方裁判所刑事第一〇部)

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